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広島高等裁判所松江支部 平成4年(う)34号 判決 1994年4月18日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

原審における未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人を無罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反及び事実誤認があるので、破棄を免れないというのであって、その詳細は検察官田井正己提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意中訴訟手続の法令違反の点について

一  原審における訴訟手続の概要

1  本件公訴事実は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、平成三年九月一三日午後一〇時ころ、鳥取県岩美郡国府町大字麻生二三二番二三三番合併地の自宅において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤約0.02グラムを水に溶かして自己の左腕に注射し、もって、覚せい剤を使用した。」、というものである。

2  検察官は、本件公訴事実を立証するため、原審第一回公判期日(平成三年一一月七日)において、平成三年九月一四日採取された被告人の尿(以下「本件尿」という。)から覚せい剤が検出されたことを立証趣旨として中尾健二作成の平成三年九月三〇日付鑑定書(以下「本件尿鑑定書」という。)の取調べを請求したが、弁護人が取調べに同意しなかったため、原審第一一回公判期日(平成四年五月七日)において、右鑑定書の作成の真正を立証趣旨として証人中尾健二の尋問を請求した。

弁護人は、平成四年六月一六日、本件尿鑑定書の採否に関する意見書を原審に提出し、そのなかで、「被告人は、鳥取警察署の警察官三名が鳥取市立病院で受診待ちの被告人を取り囲み、腕をとって警察車両に乗せ、車内では警察官二名が被告人をサンドイッチ状にして拘束し、更に同警察署に到着してからは腕を取って取調室まで連行したのであるから、同病院から同警察署への被告人の連行は令状によらない逮捕行為であって違法であり、また、同警察署の警察官は、被告人が同警察署に連行されてから逮捕状が執行されるまでの約六時間三〇分の長時間(被告人に対する強制採尿令状が発付されるまででも約三時間四〇分あった。)、被告人が病院での治療を受けたい旨懇願して実質的に同警察署からの退去を要求していたのにこれを拒否し、終始取調室に入れてその行動を監視したうえ、助けを求めて走りだした被告人を取り押さえて再び取調室に連行するなどの物理的強制力を加えるなどして、被告人を警察署に滞留させ、その間、再三尿を出すよう命令し、また、被告人の腕の注射痕の写真撮影をして令状請求のための証拠収集をしたことは、明らかに令状主義の精神を没却する重大な違法であるところ、被告人に対する強制採尿令状は、このような令状主義の精神を没却する重大な違法行為である鳥取警察署への連行及び滞留に引き続き(違法な先行手続)、かつ、このような違法状態を利用して収集された証拠資料により発付されたのであるから、右強制採尿令状による採尿手続も令状主義の精神を没却する重大な違法性を帯びるものであって、本件尿は、右強制採尿令状に基づく採尿手続の結果得られたもので、違法な先行手続がなければ証拠として獲得されることがなかったことが明らかなものであり、したがって、本件尿から派生した本件尿鑑定書は、令状主義の精神を没却する重大な違法性の見地及び将来の違法捜査抑制の見地から、その証拠能力を否定され証拠から排除されなければならない。」旨主張した。

原審は、本件尿鑑定書の証拠能力の有無に関する証拠調べを実施したうえ、第一三回公判期日(平成四年七月七日)において、同日付決定書をもって、本件尿鑑定書及び証人中尾健二の証拠調請求を却下する旨決定(以下「原決定」という。)したが、同決定の理由の要旨は、原判決の理由三及び四に記載のとおりであって、要するに、「捜査官四名が、病院ロビーにおいて、十二指腸潰瘍による腹痛等の治療のため診察待ちをしていた被告人に強く同行を求め、その明確な承諾もないまま、両側から腕をつかむようにして病院建物外に駐車していた警察車両まで連行したうえ、警察車両後部座席に両脇を固められた状態で鳥取警察署に連行して同警察署の取調室に入れ、同警察署においては、捜査官らは、被告人が『医師に診てもらいたい、病院に行きたい。』と要求したがこれを無視し、また、被告人が脱出しようとしたのを実力で阻止して、執拗に尿の提出を要求し、被告人において、被告人に対する強制採尿令状(尿の捜索差押令状)が発付されてこれに基づいて強制採尿されそうになった時点で、観念して自ら採尿して本件尿として提出するまでの約四時間(なお、本件尿の鑑定結果を資料として発付された逮捕状によって逮捕されるまででは約六時間半)にわたって、同警察署への被告人の滞留を強行したが、以上の状態は被告人に対する令状によらない違法な逮捕に当たる。そして、このような逮捕は、憲法三三条の令状主義の精神を没却する重大な違法であるうえ、本件強制採尿令状の請求自体が右重大な違法性を帯びた逮捕を事実上利用し、これに依拠したものであるので、憲法三一条の適正手続の精神に違反し、本件強制採尿令状の発付も右違法な逮捕がなければ事実上実現せず、ひいては被告人も本件採尿に応ずるはずがなかったから、結局、本件採尿自体が、違法逮捕と目的を同じくし違法逮捕を直接利用したものとして、憲法三五条及びこれを受けた刑訴法二一八条一項の所期する捜索・押収に関する令状主義の精神を没却する重大な違法を伴うものであるところ、一般に覚せい剤使用事犯における捜査の実情等に照らして、本件のような病人に対する将来の違法逮捕を抑制する必要も大であるから、本件尿に関する鑑定書である本件尿鑑定書はその証拠能力を否定すべきである。」、というものであった。

3  検察官は、本件公訴事実を立証するため、原審第一四回公判期日(平成四年八月四日)において、被告人方から押収された注射筒一本及び注射針一本から覚せい剤が検出されたこと等を立証趣旨として右注射筒一本、注射針一本及び中尾健二作成の平成三年一〇月五日付鑑定書(以下「注射筒等鑑定書」という。)の取調べを請求したが、弁護人は、関連性がない旨の意見を述べた。

原審は、平成四年八月二六日、同日付決定書をもって、右注射筒等の証拠調請求を却下する旨の決定をしたが、同決定の理由の要旨は、原判決の理由六に記載のとおりであって、要するに、これら証拠物及び鑑定書は、検察官の主張のとおりとすれば、本件で使用したとされる覚せい剤と『同一の覚せい剤』が被告人により所持、使用されていたこととなる点において、本件使用事実との間に自然的関連性が存するもののようであるが、本件における要証事実の核心である『平成三年九月一三日午後一〇時ころの被告人方における覚せい剤の自己使用の事実』につき、自白から独立して一応これを証するという程度にはほど遠く、また、本件『使用』事実につき自白の真実性を保障する程度のものともいえないことは明らかであるから、自白を補強するに足りる証拠であるとすることもできない。」、というものであった。

また、原審は、平成四年八月二六日、同日付決定書をもって、検察官から申請のあった、本件尿の鑑定嘱託書謄本及び前記注射筒等に関する任意提出書などの証拠調請求を一括して却下した。

4  そして、原審は、第一五回公判期日(平成四年九月一〇日)及び第一六回公判期日(同年一〇月一三日)において、被告人の検察官及び司法警察員に対する供述調書等を取り調べたうえ、第一七回公判期日(同月二三日)において審理を終結し、第一八回公判期日(同年一一月五日)において、被告人の捜査官に対する供述調書における自白は、本件訴因事実に沿う一応の心証を形成せしめるものであるが、その記憶の正確性や時間的事柄の認識について全面的に依拠し難い疑点があり、また、右自白を補強するに足りる証拠もないから、本件公訴事実についてはその証明がないことに帰するとの理由により、被告人に対し無罪の判決を言い渡した。

二  論旨は、(1) 本件尿は適法な手続によって収集されたものであって違法収集証拠ではないから、本件尿鑑定書に証拠能力があることは明らかであるので、前記理由により、本件尿鑑定書およびその作成者である証人中尾健二の証拠調請求を却下した原決定は違法であり、また、(2) 自白の補強証拠は自白と相俟って事実を認定しうるものであればよいとする最高裁判例(最高裁昭和二四年五月一八日・刑集三巻六号七三四頁)に照らし、前記注射筒等には自白の補強証拠としての適格があるから、前記理由により、右証拠調請求を却下した原審の決定は違法であるところ、右各証拠調請求が採用されてこれら証拠が適法に取り調べられておれば、本件公訴事実につき被告人が有罪であることが明らかであるから、これら証拠を取り調べることなく、本件公訴事実につき証明がないとの理由で被告人を無罪とした原判決には訴訟手続の法令違反があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というにある。

そこで、まず本件尿鑑定書が違法収集証拠としてその証拠能力が否定されるべきものか否について、記録及び証拠物を調査し、当審における事実調べの結果をもあわせて検討する。

1  本件尿の採尿手続の経緯

関係証拠によれば、平成三年九月一四日(以下、平成三年中の出来事については、年度の記載を省略することがある。)に被告人から本件尿が採尿されるまでの経緯は、次のとおりであったものと認められる。

〔認定した事実〕

(一) 九月一三日までの被告人の状況

(1) 被告人は、昭和五五年から昭和五八年にかけて再三覚せい剤の自己使用等の覚せい剤取締法違反を犯した前科を有するものであるが、平成三年七月ころから再び覚せい剤を譲り受けては自己の腕に注射して使用するようになり、そのころから、夜寝ないで家の中を徘徊する、誰かが隠れて自分を見張っているなどと言って、天井裏を改める等の不審な言動をするため、心配した被告人の父親が八月三〇日に鳥取警察署防犯課の巡査部長井本勝美らに相談し、そのことが契機となって、鳥取警察署の警察官が被告人について覚せい剤取締法違反容疑で内偵を続けていた。

(2) 被告人は、九月二日、嘔吐し、その中に血液が微量混じっていたことや心窩部痛があったため、鳥取市立病院に行って医師高取克彦の診察を受け、翌三日も、心窩部痛の増強を訴えて再び同病院を訪れて高取医師の診察を受けた結果、十二指腸潰瘍と診断された。

被告人の十二指腸潰瘍は、前壁から後壁にかけての大きな潰瘍であり、既に潰瘍部分からの出血は止まっていたが、高取医師は、再び吐血すると生命にも危険があると判断し、このことを被告人に説明するとともに、入院を指示し、被告人は同日から同病院に入院して、十二指腸潰瘍の治療を受けた。

(3) 被告人は、九月七日退院を許可され、次回受診日を同月一八日と指定されて、同日分までの薬を受け取って同病院を退院した。

(4) 被告人は、退院後すぐに覚せい剤の使用を再開し、九月一二日午前、鳥取県岩美郡国府町所在のホテル東京において、妻政代と同宿中に覚せい剤を自己の身体に注射して使用した(この覚せい剤の自己使用が同月一四日の逮捕事実となった。)。

(5) ところで、被告人は、何の根拠もないのに、政代も覚せい剤を使用しているのではないかとの疑いを抱いていたところ、九月一三日夜、自宅において、政代に対し、小型のナイフを突き付けて、「お前もどうせくらっとるけ。白状せい。」などと言って、覚せい剤の使用について白状するよう迫ったり、「やりたかったら、すりゃいい。」と言って、覚せい剤様の粉末の入った三センチメートル四方のビニール袋を政代の前に投げ出したりしたうえ、被告人の覚せい剤使用が政代の覚せい剤の仕入れ先の罠にはまったためであるとか、政代が浮気をしているなどと言い出し、怒った政代は、子供を連れて自宅を出て実家に行ったが、同日深夜、被告人が政代の実家に政代らを迎えに来て帰宅を懇願したため、政代は自宅に戻った。

なお、その数日前、被告人は、政代に覚せい剤の使用を止めさせ、自らも覚せい剤の使用を何とか止めたいと考え、顔見知りの鳥取警察署刑事第二課係長椎本勲(警部補)に電話して相談事があるので相談にのって欲しい旨依頼していた。

(二) 九月一四日被告人を鳥取警察署に同行するまでの経過

(1) 被告人は、九月一四日(土曜日)朝嘔吐して微量の吐血があったことから鳥取市立病院に行って診察を受けようと考え(もっとも、被告人としては、さほど緊急な事態であるとは思っていなかったため、家族にも告げなかった。)、昼ころ政代の運転する車に乗って自宅を出たが、途中、椎本係長に覚せい剤のことで相談にのってもらおうと思い、政代に指示して鳥取警察署に向かわせ、零時三〇分ころ鳥取警察署に到着した。なお、被告人は、鳥取警察署に向う途中の車の中で、政代に対し「お前の様子がおかしい。警察に知り合いがおるから調べてもらえ。」などと話していた。

そして、被告人は、鳥取警察署で椎本係長に面会を申し込み、その玄関前において、同係長に対し「女房が覚せい剤を打っている。わしも女房に打たれた。」などと述べたが、同係長は、その際の被告人に覚せい剤使用者特有の言動や表情を認め(同係長は、原審公判において、その時の被告人について、「被告人の目はギンギンし、唇は乾いて呂律の回らない言葉遣いをしていた。」と供述している。)、被告人の覚せい剤の自己使用を強く疑い、「覚せい剤を打たれたというのなら、腕を見せてみい。」といって被告人の腕を見たりした後、検査してやるから二階の取調室に行くよう被告人を説得したが、被告人は、腹痛が収まらなかったため、病院に行くからと言ってこれを断り、政代の運転する車に乗って立ち去った。

なお、同係長は、被告人が九月初旬に十二指腸潰瘍で鳥取市立病院に入院していたことを知っていた。

(2) 椎本係長は、被告人が立ち去った後、自己の所属する刑事課の部屋に戻り、上司である刑事第二課長石亀禮次郎(警部)に対し、被告人との右の顛末を報告したところ、同課長から、どうしてもっと説得して取調室まで連れて来なかったのかと言われるとともに、被告人を説得して同行してくるよう指示され、応援の警察官三名をつけてもらって警察車両で鳥取市立病院に向かった。

(3) 他方、被告人は、午後一時三〇分ころ、鳥取市立病院を訪れて高取医師の診察を申し込み、看護婦に対して入院希望を伝えたが、看護婦からは当直医の診察を指示された。

そこで、被告人は、政代とともに、診察を受けるべく救急診察室(休日の診察室に充てられていた。)付近で待機していたが、そのうち、救急診察室前の公衆電話から自宅等に電話をかけ始め、看護婦から数回救急診察室に入るよう指示されたが、電話をかけつづけてこれに従わなかった。

(4) 椎本係長らを乗せた警察車両は午後二時ころ鳥取市立病院に到着し、同係長は、三名の警察官を同病院玄関前で待機させ、一人で同病院内に入って被告人を探し、すぐに救急診察室前で電話をしている被告人を見つけたので、被告人の背後から近づき、被告人が電話を終わるのを待って、被告人に対し、「もう一回話を聞いてやるから、署まで来てくれ。」と鳥取警察署までの同行を求めたところ、被告人は、「もうすぐ先生が見えるから、診察が終わってからにしてくれ。」と言って直ちに要請に応じようとしなかったが、同係長が重ねて「本当のことを調べてやるから。」などと言って強く同行を求めたところ、被告人は、覚せい剤の使用をなんとか止めたいとの気持ちもあって、強いてこれに反対の意向を示さず、同係長に誘導されるようにして同病院玄関に向かい、同病院玄関付近で、同係長及び他の警察官三名に取り囲まれるようにして病院の外に出、同係長らの指示に従って、同病院玄関前に停めてあった警察車両の後部座席に自ら乗車した。なお、被告人の乗車に当たって、ドアにはチャイルドロックが施され、被告人を後部座席の運転席側に乗せ、その左隣り(後部座席の助手席側)に警察官一名が座ったが、被告人は、ドアがチャイルドロックされていたことには気づかなかった。

この間、同係長が、被告人に同行を求める際に被告人の肩を軽く叩く動作をしたことや、病院玄関前で被告人に警察車両への乗車を促すために被告人の肩あるいは腕を持ったことはあるが、それ以上に同係長を含む警察官らにおいて被告人の身体を拘束するなどの有形力を行使したことはなく、また、被告人においても警察署へ行くことを拒むために抵抗したり、これに抗議したり、あるいは逃走を試みたりしたことは一切なかった。

なお、高取医師は、当時病院内を回診中であったところ、当直医から、被告人が来院して入院を希望しているとの連絡を受けたため、被告人を診察するべく救急診察室に赴いたが、既に被告人は同病院を退去した後であった。

(5) 政代は、被告人が右のようにして同病院の玄関を出て、警察車両に乗車するまでの一部始終を見ていたが、椎本係長から、「ありゃ、ごっつい様子がおかしいで。あんたも来てくれ。」と言われて、鳥取警察署までの同行を求められたためこれを承諾し、同係長を自己の運転する車の助手席に乗せて(ただし、同係長は、途中で警察車両に移り、他の警察官が代わって乗った。)、同警察署に向かった。

(6) 午後二時一〇分ころ、被告人を乗せた警察車両及び政代運転の車が相次いで鳥取警察署に到着し、直ちに、被告人は、両側を警察官から抱えられるようにして二階刑事課室内にある七号取調室に入り、政代は、二号取調室に入った。

(三) 鳥取警察署での被告人の状況

(1) 被告人は、七号取調室において、最初に椎本係長、次いで巡査部長二宮明広、更に井本巡査部長から、それぞれ尿を提出するよう説得され、尿の提出に応ずる意向を示し、ただ尿がすぐに出ないので待ってくれと返答していたが、尿の提出を再三促されるため、尿意がなかったけれども、午後四時ころまでの間に三度採尿のために同階にある便所に行き、その都度まだ出ないと言って採尿に至らなかった。

その間、被告人は、同取調室において、警察官から出された湯飲みのお茶を少しずつ飲んでいたが、二宮巡査部長らは、被告人が右のとおり尿が出なくて採尿できないと言うため、被告人に対し、再三、お茶をたくさん飲むよう勧め、被告人が「十二指腸潰瘍でたくさんのお茶は飲めない。」と説明しても、強い口調で、「なんで飲めれんのか。飲まんか。」と言って、多量のお茶を飲むよう勧めるため、これに反発した被告人が「管でも何でも通して尿を取ってくれ。」と返答したこともあった。

なお、被告人が同取調室に入室後ほどなくして、二宮巡査部長が、同取調室で、被告人の両腕肘関節部の内側の注射痕の写真撮影を行ったが、被告人は素直にこれに応じた。

(2) 他方、被告人は、七号取調室に入室した当初から、腹痛を覚え、尿の提出の説得に当たった椎本係長や二宮巡査部長に対し「病院に行かせてくれ。」とか、「九月の初めに入院していたので、体がえらいので病院に連れて行ってくれ。」などと鳥取市立病院で医師の診察を受けたい旨再三要望あるいは要請したが、椎本係長らは「今まで病院にいたのに何故ちゃんと診てもらわなかったのか。」(椎本係長)とか、「小便出して検査してもらってからでいいではないか。」(二宮巡査部長)などと言ってこれにとりあわず、また、高取医師が外出していて連絡が取れないなどと言って(事実、後記のとおり高取医師とは連絡が取れなかった。)、被告人を引き留めていた。

しかし、被告人においては、右以上に、実際に取調室から退去するような行動に出たことはなく、警察官においても、右のように説得した以外に、被告人の退去を妨げたり、被告人を引き留めたりするために被告人の身体に実力を行使したり、留め置きを強制するような言辞を用いたりしたことはなかった。

なお、石亀課長は、二宮巡査部長から、被告人が病院に連れて行くよう求めている旨の報告を受けたため、午後二時三〇分ころ鳥取市立病院に電話で被告人の病状等を問い合わせたところ、被告人が入院していた事実のみについて回答を得たが、被告人の病状等については回答できないとのことであったので、更に高取医師に問い合わせるべく同医師宅に再三電話したが不在であったため、同医師と電話連絡がとれなかった。また、被告人が、採尿のため三度目に同取調室を出て便所に行った後同取調室に戻る際に、戻る方向を間違えて同取調室のある刑事課の部屋と反対側にある交通課の部屋に向かって歩きかけたことがあったため、同行していた井本巡査部長が被告人を大声で呼び止め、けげんそうにしている被告人に駆け寄ってその腰付近に手をかけて被告人の身体の向きを変えて刑事課の部屋の方へ軽く押すようにしたことがあった。

(3) 被告人が入室した七号取調室のドアは開け放たれ、また、同取調室には常時警察官が在室していたわけではないが、同取調室自体が刑事課の部屋の一部のような構造になっていて、出入口が刑事課内部に面しているため、同取調室における被告人の大体の動静は、刑事課内で執務していても把握でき、また、被告人が採尿のために取調室を出るときには、必ず複数の警察官が被告人に同行していた。

(4) 政代は、二号取調室において、被告人の行動等について事情聴取を受け、ほどなくして任意に後記(三)の(1)の供述調書の記載に副う内容の供述をして、その旨の供述調書の作成にも応じた。

(5) 被告人に対する覚せい剤使用事件の捜査全般を統括していた石亀課長は、椎本係長から、被告人が尿の任意提出を承諾している旨の報告を受けたため、被告人が採尿して任意に提出するのを待っていたが、被告人が前記のとおり三度も便所に行くも採尿に至らないため、午後四時ころ、被告人から尿の任意提出を受けることが困難ではないかと考え、被告人の尿について捜索差押令状を得て強制的に採取する方針を立て、県立中央病院にカテーテルによる採尿の可否について問い合わせるとともに、部下の警察官に必要な疎明資料の作成を指示し、午後四時五〇分ころ、このとき作成された後記(三)記載の疎明資料を提出して裁判所に採尿のための捜索差押令状(強制採尿令状)を請求し、午後五時五〇分ころその発付を受けた。

(6) そこで、椎本係長らが警察車両で被告人を県立中央病院に連れて行き、午後六時一〇分ころ同病院において強制採尿令状の執行に着手したところ、被告人が自発的に採尿する旨申し出て、自ら採尿コップに本件尿約一二五CCを採尿して提出したので、二宮巡査部長においてこれを差し押さえた。

本件尿は直ちに鳥取県警察本部科学捜査研究所の鑑定に付され、被告人は、午後六時三〇分ころ同病院から警察車両で鳥取警察署に連れ戻され、再び七号取調室に入室した。

午後七時二〇分ころ、同研究所から、本件尿について覚せい剤反応があった旨の電話連絡が入ったので、石亀課長は直ちに被告人に対する九月一二日の「ホテル東京」での覚せい剤の自己使用を被疑事実とする逮捕状を請求し、ほどなくして逮捕状が発付されたため、午後八時四二分鳥取警察署において右逮捕状が執行され、被告人は逮捕された。

なお、石亀課長は、午後七時四五分ころ、高取医師と電話連絡が取れたので、同医師に対し、被告人の鳥取市立病院入院当時の状況や症状について照会したところ、同医師から、被告人が九月上旬ころ一週間十二指腸潰瘍で入院し、同医師が担当したが、入院中、夜間無断外出をするうえ、出血もなく、投薬で治療できることから退院させた旨の回答があった。

(7) 被告人は、逮捕後鳥取警察署の留置場に留置されたが、大声で腹痛を訴えるため、留置管理担当の警察官が高取医師に連絡して薬を調合してもらい、午後一〇時ころこれを受け取って被告人に渡した。

(四) 強制採尿令状請求の際に提出された疎明資料

強制採尿令状請求の際に裁判官に提出された主な疎明資料は次のようなものであった。

(1) 政代の司法巡査に対する九月一四日付供述調書

牧田巡査が、九月一四日、前記経緯で同行してきた政代の供述を録取した調書であり、政代が、九月一二日午前中ホテル東京に投宿した際、被告人が覚せい剤を自己の身体に打っているような様子をしているのを見たが、以前自宅で被告人が注射器を左腕に刺しているのを見たり、注射器を自宅の布団の下から発見したことがあったことなどから、被告人の右様子を見て被告人が覚せい剤を打っているものと判断した旨、また、被告人の最近の言動が異常で、被告人の母親は、被告人が以前覚せい剤で逮捕された時の様子と同じであると心配していた旨、被告人においても「覚せい剤を最近もらった。」などと政代に話していた旨等の記載がある。

(2) 司法警察員(井本巡査部長)作成の「覚せい剤の使用容疑動向について」と題する九月一四日付捜査報告書

九月一三日までの被告人の動向に関する報告書であり、井本巡査部長が八月三〇日に被告人の父親から、被告人が異常な行動をし、以前覚せい剤を使用していた当時と同じような状態となっている旨の相談を受け、以後被告人の妻である政代及び父親と継続的に接触して、観察及び事情聴取をしたところ、被告人が覚せい剤事件で逮捕された杉本孝義らと交際があること、被告人が、「注射器を買って来い。」とか「アンナカを買って来い。」と言ったり、政代に対し「注射しているだろう。」と言って、腕等を検査したり、更には、刃物を持って家の中を歩き回って、「やられる前にやってやる。」などと口走っていることなどから、被告人の覚せい剤使用容疑が極めて強い状況がある旨の記載がある。

(3) 司法警察員(椎本係長)作成の「覚せい剤(使用)事犯の容疑者について」と題する九月一四日付捜査報告書

椎本係長が、被告人についての覚せい剤使用容疑の存在及び任意同行の経緯、尿の提出がなかった経緯等に関して作成した捜査報告書であり、被告人が九月一四日午後零時三〇分ころ政代とともに鳥取警察署に尋ねて来て、「わしの女房はシャブを打っているけえ、調べてつかい。わしも女房にシャブを打たれた。わしは殺される。」と意味不明のことを言い、錯乱に近い状態にあり、その言動から覚せい剤使用による幻覚症状が認められた旨、他の警察官三名と鳥取市立病院に赴き、被告人及び政代を任意同行したが、政代は、被告人が覚せい剤を打っているので助けてやってくださいと述べ、また、鳥取警察署で被告人の両腕を調べたところ、被告人の両腕には注射痕があり、被告人は、「小便が出んので、病院でもどこでも連れて行って、管でも通して小便を取ってください。かまわん。」と述べている旨、政代の供述によると、被告人が九月一二日ホテル東京で覚せい剤を使用したとのことであったので、裏付捜査したところ、同日被告人の同ホテル利用の事実が判明した旨の記載がある。

(4) 司法警察員(二宮巡査部長)作成の「覚せい剤使用日について」と題する九月一四日付捜査報告書

取調中の被告人の両腕には注射痕が認められ、言動等から覚せい剤を注射していることは明らかであるが、現在のところ覚せい剤を注射した事実は全く供述していないため、その使用日時が判明していないが、鳥取警察署に保管中の資料「防犯指針・覚せい剤の体内残留状況調査結果について」によれば、覚せい剤が尿中から検出されるのは、覚せい剤注射後最高一三日までであり、おおむね七日後位であるので、被告人が覚せい剤を注射したのは九月一四日より遡ること七日位の九月上旬ころと思量される旨の記載がある。

(5) 司法警察員(二宮巡査部長)作成の九月一四日付写真撮影報告書(原審検察官請求番号6、弁護人の不同意意見後に請求撤回)

二宮巡査部長が、鳥取警察署の取調室において、被告人の両腕の肘内側の注射痕を写真撮影したこと及び撮影した写真三枚(当裁判所平成四年押第二号の4ないし6)を添付した報告書である。

(6) 司法警察員(巡査部長川口重教)作成の「捜索差押えの必要性について」と題する九月一四日付捜査報告書

被告人の尿の捜索差押えの必要性についての報告書であり、被告人の任意同行時及び取調室での不審な、あるいは覚せい剤常用者特有の錯乱した言動、被告人の覚せい剤前科の存在と被告人の左右の肘部全面には鮮明な注射痕が認められること、並びに政代の供述内容などにより、被告人の覚せい剤使用事実は明白であるが、被告人は、「覚せい剤をやっていない。小便は出ん。」と申し立てて、採尿を拒否していて、任意の採尿が不可能である旨の記載がある。

(7) 司法警察員(巡査部長堀場法之)作成の「暴力団北邑組組織系統表の添付について」と題する九月一四日付捜査報告書

暴力団北邑組組織系統表を作成して添付した旨の報告書であり、被告人は同暴力団の準構成員である旨記載されている。

(8) 司法警察員(二宮巡査部長)作成の九月一四日付電話録取書

鳥取警察署長名での鳥取県立中央病院に対する強制採尿設備の有無等の問い合わせと、これに対する同病院当直婦長からの同設備がある旨及び同病院医師による強制採尿を承諾する旨の回答を内容とするものである。

〔右認定に反する被告人の供述等とこれを排斥した理由〕

(一) 被告人は、原審公判及び当審公判において、九月一四日午後二時ころ、看護婦から点滴を打つから待っているよう言われて待っていたところ、椎本係長ら四、五名の警察官が来て、「署に来い。」と言われ、「治療を受けてからにしてくれ。」あるいは「点滴を打たなければならないので行きたくない。」と言って断ったが、「まあ、ええから来い。」と言われ、病院の入り口扉辺りからは、警察官に両腕あるいは両肩辺りをつかまれて体の自由がきかない状態で警察車両まで連行され、ついで警察車両の後部座席の中央に乗せられ、両脇に乗った椎本係長及び他の警察官一名から腕をつかまれて身動きできない状態で鳥取警察署まで行き、更に、同警察署に着いてからは、腕を持たれて二階の取調室まで連れていかれたもので、被告人としては同警察署に行きたくなかったけれども、警察官の人数が多かったので、諦めて抵抗はしなかった旨、また、被告人が椎本係長らの警察官から同行を求められて警察車両に乗車するまでの状況を現場において目撃していた証人政代(被告人の妻)は、原審公判において、警察官が病院から被告人を無理やり連行するような状態であり、警察車両に乗車するときの被告人は両側から警察官にガードされ、乗車するまで腕をつかまれていた旨の供述をする。

しかし、政代の右供述は、現場において目撃していた者の供述としては、全体的に具体的な内容に乏しいうえ、被告人を警察官が取り囲むようにしていたのは被告人が警察車両に乗り込む直前であった(病院の玄関車寄せ)との趣旨の供述もしているうえ、政代は、捜査段階においては、警察官が被告人の肩をたたいて促すようにしたことは見たが、警察官が被告人の腕をつかんだりしたかどうかははっきり見た覚えがない旨供述していたこと(政代の検察官に対する供述調書)に照らすと、たやすく信用できない。

そして、被告人の右供述は、ほぼ前認定の事実に副う椎本係長の原審及び当審における供述と明白に対立するものであるところ、被告人の右供述には、被告人が看護婦から点滴待ちの指示を受けたとの点や被告人が警察車両の後部座席に乗車してから鳥取警察署に到着するまでの間、椎本係長ともう一名の警察官に両脇を挾まれて乗車していたとの点において事実に反しているうえ(原審証人中村節枝、同政代及び同椎本の各公判供述)、被告人は、当日の午前中いったん椎本係長に相談するため同警察署まで行っているところ、被告人に同警察署へ行く気が全くなかったとすれば、被告人が椎本係長から同行を求められたのが病院の診察室前付近であって、付近には自己の妻がおり、また他の患者等もいたのであってみれば、何らかの抵抗や抗議を試みてもよさそうなものであるが、被告人は同行を求められた際にはそのような言動を全くしておらず、また、被告人自身も、いったん同警察署から病院に来たものの、再度同警察署に行って椎本係長に相談に乗ってもらおうと思っていたというのであるから(被告人の検察官に対する平成三年一〇月五日付供述調書及び被告人の当審公判における供述)、被告人の前記供述中右認定に反する部分は信用できず、被告人は、前記のとおり、医師の診察待ちをしていて、そのことを理由にいったんは同警察署への同行を断ったものの(被告人が同行をいったんは断ったことは椎本係長も、原審公判において、これを認める供述をしている。)、椎本係長から、再度強く同行を求められてこれに渋々同意して、椎本係長らの指示に従って警察車両に任意に乗車したものと認められる。

(二) また、被告人は、原審及び当審公判において、鳥取警察署の取調室において、再三椎本係長ら警察官に対し病院に連れて行ってくれと言っても応じてもらえないため、助けを求めるため、採尿のために便所に行かせてくれと頼んで取調室を経て刑事課の部屋を出たとき、同階にある交通課の部屋の方に走ったが、警察官に実力で取り押さえられて取調室に連れ戻された旨供述するが、その際の状況についての被告人の供述は一貫していないうえ(原審第一回公判においては、「刑事課の警察官四人位が走って来て押さえて元の取調室に連れ戻された」と、簡単に供述していたが、原審第一二回公判においては、「近くにいた警察官から足払いを掛けられてひっくりかえされ、尻のほうから転倒して取り押さえられ、腕をもたれ、項(うなじ)の辺りを持たれて連れ戻された。」と供述している。)、もし被告人が供述するような事実があったとすれば、被告人の全供述を通じて、被告人が病院で同警察署への同行を求められてから、同警察署において逮捕状を執行されるまでの間において、被告人が警察官から加えられた最大の実力の行使であるということになり、被告人の記憶にもっとも鮮明に残っているはずのものであるのに、被告人が、最初に弁護人、原審裁判官及び原審検察官に宛て、警察官による違法な拘束を訴えた書面(被告人作成の「私は此のたび」で始まる上申書)には、右供述にあるような事実の記載は何らなく、かえって同書面には、「(取調室から)出してくれる時は、私がションベンを頑張って出してみると言い、出すきはないのに5、6回便所に行きましたが、その時にも、三人位の人が私をかこんで身動きできないようにされていましたので逃げる事もできませんでした。」(原文のまま)との記載があって、右供述にあるような事実がそもそも存在しなかったことを自認する内容となっており、他の上申書でも右供述にあるような事実の存在については触れるところがないこと、そして、被告人が採尿のために取調室を出るときは必ず警察官が同行していたのであり、交通課の部屋にも警察官が執務しているのであるから、被告人の供述するような方法で警察署から出られるような客観的な状況はなかったこと、被告人の供述するような事件を境にして、被告人に対する逃亡防止態勢が新たにとられた形跡もないことに照らし、被告人の右供述は到底信用できない。

2  以上の事実関係に基づいて、(一) 警察官が被告人を鳥取市立病院から鳥取警察署に同行したことが違法であるか否か、(二) 被告人を同警察署に留め置いたことが違法な身柄の拘束であるか否か、(三) 本件尿鑑定書が違法収集証拠としてその証拠能力が否定されるべきであるか否かについて、順次検討する。

(一)  被告人を鳥取市立病院から鳥取警察署に同行したことが違法であるか否か。

被告人が鳥取市立病院において鳥取警察署警察官から同行を求められて同警察署まで同行した経緯は右1の(二)に認定のとおりであって、被告人は、鳥取市立病院で診察待ちをしていたところ、椎本係長から同警察署への同行を求られ、当初は診察をまだ受けていないことを理由に同行を渋っていたが、椎本係長から重ねて同行を求められて渋々これに同意して、椎本係長らに誘導されるようにして警察車両に任意で乗車したものであり、椎本係長らによる被告人の同警察署までの同行は、被告人の同意に基づく適法なものであったというべきである。

(二) 被告人を鳥取警察署に留め置いたことが違法に被告人の身柄を拘束したことになるか否か。

被告人は、同警察署の取調室に入室して間もなくから、取調べに当たった警察官らに対し、病院に連れて行くよう要求あるいは要請していたことは前記のとおりであるところ、被告人が病院において診察待ちをしている状態にあったのを椎本係長らが同警察署に同行してきたものであることに鑑みると、被告人の右要求等は、被告人が同警察署からの退去の意思を表明したものといわなければならない。

そして、椎本係長らの警察官が、被告人の右意思表明に対し、「今まで病院にいたのに何故ちゃんと診てもらわなかったのか」(椎本係長)とか「小便出して検査してもらってからでいいではないか」(二宮巡査部長)などと言って、被告人の右要求等を取り上げず、かえって、以後も被告人を常時監視態勢下に置いて、被告人が自由に警察署から退去できない状態のまま(被告人が在室していた取調室は警察官が執務する刑事課の中にあったため、被告人が在室していた取調室の扉が開放された状態であり、時には警察官が取調室に在室していなかったことがあったとしても、被告人が常時警察官の監視態勢下にあって、自由に同警察署から退去できる状態になかったことに変わりはない。)、被告人に対し再三かつ執拗に尿の提出を要請し続けたことは、被告人の同警察署からの退去を拒否して被告人の意思に反して被告人を同警察署に留め置いたものというべきであって、被疑者に対する任意の取調べの範囲を逸脱し、令状なくして被告人を事実上逮捕したのと同様の状態に置いたものというほかない。

もっとも、被告人は、右のような方法で同警察署からの退去意思の表明をする一方、警察官の説得に応じて尿の提出に応ずる意向を示し、その後警察官に促されて三回ほど採尿のために便所に行くなどの言動をしていたことは前記のとおりであるけれども、被告人の右のような言動は、少なくとも被告人が退去の意思表明をした後においては、警察官より、同警察署からの退去の意思表明を無視されたうえ、再三かつ執拗に尿の提出を要請されてやむなくなされたものと認めるのが相当であって、被告人について右のような言動があったからといって、被告人が、退去の意思表明をした後においても、同警察署に留まることを承諾していたものということはできない。

そして、取調べ等のためであることを承知したうえで任意に警察署まで同行して来た被疑者が、警察官からの取調べ等の際に退去の意思を表明した場合において、警察官が取調べ等の必要性を説明して更に取調べ等に応ずるよう説得することは、それが、被疑者が自由に退去できる状態において説得のために要する合理的かつ相当な時間に止まる限りは、許されるものというべきであるけれども、石亀課長が、椎本係長らに指示して、いったん警察署から退去して診察のために病院に行っていた被告人を同警察署に同行して来た前認定の経緯も勘案すると、石亀課長ら警察官には、被告人の覚せい剤使用容疑を確信し、被告人から尿の提出を受けるまでは被告人を同警察署から退去させる意思はなかったものと推認され、かつ、被告人が自由に同警察署から退去できる状態にもなかったのであるから、被告人を同警察署に留め置いたことを右説得のためであったとの理由で違法でなかったということはできず、被告人が最初に同警察署からの退去の意思表明をした時点以降の被告人の同警察署への留め置きは違法であったものというべきである。

(三)  本件尿鑑定書は違法収集証拠としてその証拠能力が否定されるべきものであるか否か。

石亀課長らの警察官が、被告人からの退去の要求に応じることなく被告人を鳥取警察署に留め置いたことが被告人を事実上逮捕したのと同様の身柄拘束状態においたもので違法であったことは前記のとおりである。

ところで、本件尿は、裁判官が権限に基づいて発付した本件強制採尿令状に基づき、被告人が同令状にしたがって排泄した尿を差し押さえることによって取得されたものであるから、その取得過程自体に違法な点はなく、適法な法的手段に従って獲得された証拠であるというべきであるけれども、本件において警察官による被告人の警察署への違法な留め置きと本件強制採尿令状を請求してこれに基づいて採尿する手続とは、被告人に対する覚せい剤使用事犯の捜査、特にその一環としての被告人の尿の採取という同一目的に向けられたものであることが明らかであるところ、本件強制採尿令状は、警察官が被告人を警察署に違法に留め置きしている間に作成された証拠資料に基づいて請求されて発付されたものであるから、右違法な留め置きの違法性の程度、違法な留め置きと右証拠資料との関係等のいかんによっては、本件強制採尿令状に基づく採尿手続自体が右違法な留め置き状態を直接利用したものとして、右違法な留め置きと本件強制採尿令状の請求手続、ひいては本件強制採尿令状に基づく採尿手続との間に密接な法的因果関係があるものと判断され、その結果、本件強制採尿令状に基づいて獲得された本件尿につき違法収集証拠であるとの評価を受けることもあり得るものといわなければならない。もっとも、本件強制採尿令状に基づく採尿手続が、右の意味において違法であると認められる場合でも、それをもって直ちに右採尿手続によって採取された本件尿やその鑑定書である本件尿鑑定書の証拠能力が否定されるべきではなく、その違法の程度が令状主義の精神を没却するような重大なものであり、これら証拠を許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地から相当でないと認められるときに限って、その証拠能力が否定されるものというべきである。

以上の見地に立って、本件尿鑑定書の証拠能力の有無について具体的に検討を加えるに、被告人が最初に警察署からの退去の意思表明をした時点以降の被告人の警察署への留め置きが違法な身柄拘束であり、しかも、被告人の退去の意思表明が病気の診察あるいはその治療を訴えてのものであり、石亀課長ら警察官にも被告人の病気入院の事実についての認識があったことを勘案すると、被告人の警察署への留め置きによる身柄拘束の違法の程度を安易に軽視することはできないものといわなければならない。

しかし、被告人の警察署への留め置きの契機は被告人の覚せい剤使用被疑事件の取調べを目的とした適法な任意同行によるものであり、また、被告人は、取調べに当たった警察官に対し、病院に連れて行くよう要求あるいは要望したものの、それ以上に警察署あるいは取調室から退去しようとする行動をとったことはなく、警察官においても、被告人からの退去の意思表明に対し前記のような対応をしてこれに応じなかったが、それ以上に被告人の退去を妨げるために被告人に対し有形力を行使したり強制的言辞を用いたことはなかったのであり、更に、被告人の留め置きは本件強制採尿令状の発付までで四時間弱に及ぶが、そのうち石亀課長が午後四時ころに被告人に対する強制採尿令状請求の準備を部下の警察官に指示するまでの約二時間は被告人に対する尿の任意提出の要請やその説得に費やされていたものであるところ、被告人は、右のような方法で警察署からの退去意思の表明をする一方、警察官の右要請等に応じて、尿の提出に応ずるかのような意向を示し、その後警察官に促されてではあるが自ら三回ほど採尿のために便所に行くとともに、警察官からの再三の尿提出要請に対し半ば立腹しながらも、「管でも何でも通して尿をとってくれ」との発言をしていたのであったから、石亀課長ら警察官が、被告人の右のような言動に接して、被告人から任意に尿の提出が受けられるものとの期待を抱いて説得を続けたことにはやむを得ない一面があったのであり、そして、石亀課長は、被告人から任意に尿の提出を受けることが困難であると判断した時点では、部下警察官に対し被告人に対する強制採尿令状請求の準備を指示し、その準備に着手させ、一時間弱後には前記1の(三)掲記の証拠資料を添えて強制採尿令状請求をしているのであって、令状主義を潜脱する意図まではなかったものと認められるから、これらの諸事情を総合勘案すると、被告人の鳥取警察署への留め置きは違法ではあるけれども、未だその違法が令状主義の精神を没却するような重大なものであったということはできない。

加えて、本件強制採尿令状請求の疎明資料となった前記証拠資料は、被告人が鳥取警察署に留め置かれている間に作成されたものであるけれども、右証拠資料のうち、被告人の同警察署への留め置きがなければ作成できなかったと認められる資料は、(3)の椎本係長作成の捜査報告書の一部(「当署で被告人の両腕を調べたところ、両腕に注射痕があり」との部分及び被告人が「小便が出んので病院でもどこでも連れて行ってくだでもなんでもとおして小便を取ってください、かまわん」と申し述べている旨の部分)、(5)の二宮巡査部長作成の写真撮影報告書及び(6)の川口巡査部長作成の捜査報告書にすぎないところ、その余の証拠資料だけでも、本件強制採尿令状請求の被疑事実とされた前記「ホテル東京」での覚せい剤の自己使用につき「罪を犯したと思料されるべき資料」(刑訴規則一五六条)として充分なものであったものと認められるから、違法な被告人の留め置きと本件強制採尿令状に基づく採尿手続によって採取された本件尿との関連性は薄弱であるということができる(なお、本件強制採尿令状に基づく採尿手続は、被告人が警察署に留め置かれていたため、警察官が被告人を採尿手続をする病院まで連行してなされたが、強制採尿令状によって被疑者を採尿手続をする病院まで連行することも許されるものと解する。)。

以上によれば、被告人をその意思に反して警察署に留め置いたことは違法な身柄拘束であったといわなければならず、本件強制採尿令状請求及びこれによって発付された令状による採尿手続との間には、被告人に対する覚せい剤使用事犯に必要な被告人の尿の採取という捜査目的の同一も肯定でき、かつ、本件強制採尿令状請求の際に提出された証拠資料中には右留め置きがあって始めて作成あるいは収集され得たものもあって、そのような証拠資料も同令状を発付した裁判官の判断資料となったという意味において、違法な被告人の留め置きと本件強制採尿令状に基づく採尿手続によって採取された本件尿との間には一定の関連性があることが認められるから、本件強制採尿令状に基づく採尿手続にも右違法が承継されているものといわなければならないが、しかし、前記諸事情を考慮すると、右違法をもって直ちに令状主義の精神を没却するような重大なものということはできず、また、右採尿手続によって採取された本件尿やその鑑定書である本件尿鑑定書の証拠能力を証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地から相当でないとも認められないから、その証拠能力はこれを肯認すべきである。

3  したがって、本件尿鑑定書について、前記理由をもって違法収集証拠であって証拠能力がないとして、検察官のした本件尿鑑定書及び証人中尾健二の証拠調請求を却下した原決定は、刑訴法の証拠能力に関する規定の適用の前提となる事実を誤認し、その結果右に関する法令の適用を誤った違法があるものといわなければならない。

4  そして、原審において取り調べられた被告人の検察官に対する平成三年一〇月四日付及び司法警察員に対する同年九月一九日付各供述調書並びに被告人に対する勾留質問調書謄本における被告人の供述(本件公訴事実の自白)は、後記のとおり、十分に信用できるところ、当審において取り調べた本件尿鑑定書はこれが補強証拠足り得ることが明らかであるから、これら証拠によって本件公訴事実を優に肯認することができるので、本件尿鑑定書を取り調べることなく、本件公訴事実について証明がないとして、被告人を無罪とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違背があるものというべきである。

論旨は理由があり、原判決はこの点において破棄を免れないので、その余の論旨に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。

三  自判

〔犯罪事実〕

被告人は、法定の除外事由がないのに、平成三年九月一三日午後一〇時ころ、鳥取県岩美郡国府町大字麻生二三二番二三三番合併地の自宅において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤約0.02グラムを水に溶かして自己の左腕に注射し、もって、覚せい剤を使用したものである。

〔証拠〕

1  被告人の当公判廷における供述

2  被告人の検察官に対する平成三年一〇月四日付及び司法警察員に対する同年九月一九日付各供述調書

3  被告人に対する勾留質問調書謄本

4  鳥取県警察本部科学捜査研究所技術吏員中尾健二作成の鑑定書

5  原審第八回公判調書中の証人二宮明広の供述部分

なお、被告人は、原審及び当審公判を通じて、本件犯行(九月一三日の覚せい剤の自己使用の事実)を否認する供述をし、捜査段階で本件犯行を認める虚偽の自白をしたのは、取調べに当たった二宮巡査部長から、九月一二日に覚せい剤を自己使用した後の残りの覚せい剤の処置を聞かれて、注射器と一緒に川に捨てた旨説明したが取り上げてもらえず、残りの覚せい剤をその後に使用したのではないかと執拗に追及されるとともに、接見禁止中に妻との連絡の便宜を図るかどうかは自分の一存でどうにでもなるなどと言われて利益又は不利益をもって誘導又は脅されたため、同巡査部長の取調べに迎合したことによる旨供述する。しかし、被告人の右各供述調書の内容は、被告人は、九月一三日の夕方、妻政代と話しているうち政代が怒り出して子供を連れて家を出たことなどからいらいらし、午後一〇時ころ自宅において、前日使用して残っていた覚せい剤約0.02グラムを所持していた注射器を使用して左腕に注射し、使用後覚せい剤の使用を止める決心をして注射器等を自宅前の小川に捨てたというものであって、被告人の本件犯行に至った経過として十分に納得でき、特に不自然な点はなく、かつ、政代との口論及び家出に関しては関係証拠にも符合するなどその供述内容の信憑性に疑いを容れるような点も認められないうえ、関係証拠によれば、被告人は、九月一二日の覚せい剤の自己使用の事実によって逮捕され、勾留されていたものであり、この事実は、被告人が本件犯行を自白した当時、既に被告人の自白や政代の取調べによって捜査官に判明していたことが認められるから、捜査官が被告人に対し本件犯行についての自白を迫る捜査上の必要性に乏しかったものというべきであるので、被告人の右公判供述は信用できず、被告人の前記各供述調書中の本件犯行を認める供述は信用できる。

弁護人は、被告人の逮捕・勾留中の自白は、違法な逮捕状態を利用した違法な強制採尿手続に起因し、被告人の尿から覚せい剤が検出されたことによる諦めの心境からなされたものであるから、違法捜査と自白との間には明確な因果関係があり、また、被告人に対する逮捕及び勾留がそもそも違法な採尿手続による尿の鑑定結果を基礎とした客観的には違法なものであったので、違法収集証拠として証拠能力がないと主張するが、被告人の逮捕・勾留に先行する捜査手続に弁護人指摘のような違法があったからといって、被告人の逮捕・勾留中になされた自白の証拠能力を否定しなければならないものではないし、本件強制採尿令状によって取得された本件尿の鑑定書である本件尿鑑定書の証拠能力が認められるべきことは前記説示のとおりであるから、弁護人の右主張は採用できない。

〔公訴棄却の申立てに対する判断〕

弁護人は、本件公訴が、被告人に対する違法な事実上の逮捕、これを利用した尿検査の強要とその結果としての逮捕状の発付及び執行、これら違法な捜査による違法収集証拠に基づくものであるから、公訴権の濫用として棄却されるべきである旨主張するが、本件公訴の提起に先立つ捜査手続に弁護人指摘の違法があったとしても、検察官による本件公訴の提起が濫用として無効となるものではないから、弁護人の公訴棄却の申立ては失当である。

〔累犯前科〕

1  昭和六一年一二月二日鳥取地方裁判所宣告

傷害罪により、懲役八月

昭和六二年七月二日刑終了

2  昭和六三年四月一四日鳥取地方裁判所宣告

暴力行為等処罰に関する法律違反、銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪(1の刑の執行終了後の犯行)により、懲役一年

平成元年三月一四日刑終了

〔法令の適用〕

罰条 平成三年法律第九三号(麻薬及び向精神薬取締法の一部を改正する法律)附則三項による改正前の覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条

累犯加重 刑法五九条、五六条一項、五七条(三犯)

未決勾留日数の算入 刑法二一条

原審及び当審における訴訟費用の不負担

刑訴法一八一条一項但書

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官長谷喜仁 裁判官長門栄吉 裁判官渡邉安一は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官長谷喜仁)

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